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高松家庭裁判所 昭和40年(少ハ)4号 決定 1965年10月25日

本人 W・S(昭一九・八・七生)

主文

本人を昭和四一年一〇月六日まで京都医療少年院に継続して収容する。

理由

本件申請の要旨は本人は昭和三九年四月七日高松家庭裁判所において盗窃保護事件につき特別少年院送致の決定を受け翌八日新光学院に収容され、同年八月六日満二〇年に達したが少年院法第一一条第一項但書により送致後一年に当る昭和四〇年四月六日まで収容継続がなされ、更に同条第四項により同裁判所において翌七日付をもつて同年一〇月六日まで収容継続する旨の決定を受けたので同年五月一一日までは前記新光学院に翌一二日以降は京都医療少年院に継続収容せられて今日に及んだものである。ところで本人は現在精神分裂病者であつて尚引続き長期間に亘つて強力な治療を施す必要があるばかりでなく、本人の父は目下所在不明であり母もすでに他家に再婚して本人の引き取りを拒んでおり、他に適当な保護者もなく、また本人を対象とした収容施設も見当らないので結局満期の際の出院も望められないから再度の収容継続決定を求めるというのであつて本入収容の経過が右のとおりであることは一件記録に徴して明らかである。

ところで本件のような再度の収容継続が許されるかどうかについては積極、消極の両説があり消極に解する裁判例も見られるが当裁判所は積極説に従い実質的要件が認められる限り許されるものと解するから進んで本件につき実質的要件が認められるかどうかについて検討する。

本件における調査及び審判の結果を総合すると、前記の特別少年院送致決定当時巳に本人には魯鈍級精神薄弱、気分易変性精神病質と診断された精神障害が存しその知能指数は五九の魯鈍級であり昭和四〇年一月には精薄班に編入され、ついで同年三月医療少年院に措置変更がなされたが、さきの収容継続決定前後の頃から不眠が目立ち妄想、幻覚等のため興奮し放歌絶叫するなどの異常行動が著明となり遂に接枝性精神分裂病(破瓜型)と診断され、新光学院での処遇困難を理由に同院から京都医療少年院に移送の手続がとられ爾来同医療少年院では主として精神病少年としての治療が行われていること、本件調査当時における同院での処遇経過は病的異常言動もかなり軽減し比較的落着きを見せ小康状態を保つているようであるが、これは大量の向精神薬を投与して治療に当つている結果であつて、これまでの病状に徴すると引続き六ヵ月その治療を継続してもなお寛解までには至らないものと思われるから、今この治療を廃するときは再び病勢が亢進することも当然に予想され、少くとも三、四ヵ月位の間右投薬を止めて病状の推移を見定めた上でなければそのいずれとも断定し得ないこと。本人の非行は中学入学頃より開始され養護施設を経て教護院に収容され更に初等、中等の各少年院を経験して特別少年院に送致されたものであるが新光学院における累進処遇の状況はその在院中一級の下に昇進した後は主として精神病少年としての特殊処遇が続けられており根強い非行性は今尚残存して社会に復帰し得る程度に洗除せられていないばかりでなく、その帰住先についてみても本人の父は現在行方不明であり母は本人の生後間もなく他家に嫁して本人の引取りを拒み親族受入れは期待し難くまた精神病者である本人の場合通常の施設においてはこれを受入れないのが現状で精神衛生法に定める措置入院も本人の現状ではいまだその要件を具備していないのでこれを望み得ないこと等の各事実を認めることができる。

そうだとすれば本人保護のため更に収容継続することもやむを得ない措置であるというべくその期間は前記諸事情の外仮退院による保護観察期間ないし他施設殊に保護入院の場合における精神病院との調整期間等をも併せ考慮すると一年と定めるのが相当と考えられる。

よつて少年院法第一一条に則り主文のとおり決定する。

(裁判官 山崎寅之助)

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